「真夜中のミサ」を終えて
終曲に近付くにつれ、このまま終わってしまうのが残念だと感じる事が出来ました。
今回の演奏会は合唱連盟の方だけでなく、教会関係の方もご来場戴いた様です。(
オルガンの福原さんのご紹介によるものです)福原さんからのメールによりますと、
「メキシコ人の神父様などは『コンサートでなく、黙想できるくらいに素晴らしいラテン語の
ミサに思えたくらいだった』とその雰囲気も大変ほめてくださいました。」との事。
これからの励みになりますね。では皆さん、良いお年を!
終曲に近付くにつれ、このまま終わってしまうのが残念だと感じる事が出来ました。
今回の演奏会は合唱連盟の方だけでなく、教会関係の方もご来場戴いた様です。(
オルガンの福原さんのご紹介によるものです)福原さんからのメールによりますと、
「メキシコ人の神父様などは『コンサートでなく、黙想できるくらいに素晴らしいラテン語の
ミサに思えたくらいだった』とその雰囲気も大変ほめてくださいました。」との事。
これからの励みになりますね。では皆さん、良いお年を!
どうもちゃんと返信できない様ですので、ブログの方に書きます。一つ言えるのは、考えすぎないでという事。歌詞のカットや、声部の構成などは当時の教会(カトリック)やら、歌手のレベルなど、現在では判らない部分も多いのです。
それと、会衆が歌えるのはプロテスタントの方。少なくともこんなミサは一般人は歌いません。
また権力者がこういった音楽に規制を与えた事は余り無いんです。むしろ規制は常に教会から。「この詩に音楽をつけるな」とか、「音楽は複雑にせず、単旋律にせよ」とか、合唱団が
怒りそうな事は教会が言っています。で、ミサとミサ曲を分けて考えましょう。ミサの中にど
れだけのものが含まれるか。ミサ曲はそのうちのどの部分を使っているかを調べてみてくださ
い。
短調・長調はこの時代はまだ確立していませんので、その性格を述べる事自体不毛なのです
が、あえて言うならば、短調が悲しいと思うのは日本の間違った音楽教育の「賜物」です。
テンポに関しては、私は可能なテンポを取っているという事です。合唱団とソロ、オケと
オルガンが破綻しないテンポの中で、より本来の音楽にふさわしいものを選んでいます。
続きは又後ほど。
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