作曲家の意図した音楽
さて、ハイドンがどの様な音楽を意図していたかを考えると言う事は、何も「ハイドンが演奏したそのままの音を出さねばならない」という事ではありません。それなら、楽器は全部古楽器を使用し、合唱の人数も半分以下に減らし、演奏会場も小さなものにしなければならないでしょう。また最近流行のピリオド奏法も、楽器は現代の楽器を使用しますが、演奏方法を当時のものと思われるものにする(ヴィヴラートを無くす、速度を速めに等)というのでは、苦肉の策に思われます。(それは現代楽器には過酷な事になるからです)
更に、ハイドンの時代にハイドン以外の演奏家たちがハイドンの曲を演奏したら、果して同じ音楽になったでしょうか?また、ハイドンの「戦時のミサ」に二つの楽譜が有るのですがこれはどう考えればよいのでしょう?
作曲家は自分の意図した音楽を音にする為に、楽器を選び、オーケストレーションを行い、それを楽譜として残します。しかし、それはあくまでも設計図でありレシピです。それを、どう解釈するかは演奏家に委ねられます。もし作曲家自身が指揮をしたとしても、同じ演奏を二回する事は無いでしょう。作曲家自身が変化するからです。フォーレはレクイエムを最初小編成の(ヴァイオリンを含まない)オーケストラで書きましたが、後に大編成のオーケストラに編曲し、本人も納得しています。(最近これをわざわざ元に戻そうとする人がいますが、その中の一人であるフォーレ研究家でさえ、自分の著作の中で、作曲家自身がOKしている事を書いています)
ただ、演奏家に委ねられると言う事は、勝手にして良いと言う事では有りません。そうでないと、何とも面妖な演奏が生まれてしまいます。そういった事を避ける為にもハイドンの意図した音楽を考える事が大事だと言う訳です。
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